
にじ色…それはみんなの希望を歌に乗せて発信する2人組のユニットだ!
そんな二人は2001年に富山駅で偶然にも出会うのである。
そこから始まるにじ色の軌跡を紹介しよう。
最初に歩み寄ったのは拓也だった…
齊藤拓也(さいとうたくや)。にじ色の リーダーだ。
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■誕生日 星座 血液型/11月5日 蠍座 A型
■出身地/富山県富山市
■性格/明るくみんなからの信頼も厚い
■好きな食べ物/花月のラーメン
■好きな飲み物/ミネラルウォーター、お茶
■趣味特技/アクロバット
■座右の銘/ちょ、ちょ、ちょ
■ポジション/向かって右
その最初の出会いの日に10曲ほど2人でセッションをし、
それ以降は連絡を取り合って2人で歌うようになってゆく。
ところで、「にじ色」というユニット名はどのタイミングで命名されたのか?
なんとその年の12月に行われた福井駅での路上ライブのに向かう途中(電車の中)なのだ。
そして正式に「にじ色」の結成となるのである。
ここで相方の…
山田博仁(やまだひろひと)を紹介しよう。
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■誕生日 星座 血液型/8月29日 乙女座 AB型
■出身地/富山県滑川市
■性格/二重人格
■好きな食べ物/オムレツ 、生野菜
■好きな飲み物/ミネラルウォーター、DAKARA、野菜ジュース
■趣味特技/スノボ、サッカー、バスケ
■座右の銘/ダラァ
■ポジション/向かって左
その後は、破竹の勢いでメディアなどに登場し、
次の年(2002)の夏には初シングルを200枚限定で発売し3ヶ月で完売させるなや、
「真夏の願い事」がCMソングに大抜擢されるという快挙を成し遂げた。
順風満帆に見えた「にじ色」ではあったが、
若さゆえの災いであろう その達成感からか次第にライブ回数なども減り、
博仁がソロで路上をやったりと、今ひとつしっくりこない日々が続き、
やがてそれは「解散」というピリオドを迎えてしまう。
それは2003年も暮れようとする少し前の出来事であった。
それからしばらくの月日が流れたある日、
「音源作らないか?」との誘いがきっかけで二人は再会を果たす。
レコーディングの末、完成されたアルバムの名前はそう、あの「光」である。
その発売からまた精力的に曲作りを再開する二人だった。
翌年(2006)の春、3枚目のアルバム制作が決定する中、
二人はまた「にじ色」としての活動を再開することを決意する。
今や週末の風物詩となった路上ライブも二人が再結成を決めたこの時から、
始まったものといっても過言ではない 。
そして遂にこの年の秋、3枚目となる「4seasons」を50枚限定で発売する。
1ヶ月も経たぬうちにソールドアウトとなり、再販のリクエストを数多く受けることになる。
翌年(2007)の春には、リクエストに答えて「4seasons」を再販開始。
この年からは「にじ色」のメディア露出攻勢とも言える快進撃が始まるのであった。
「あの頃のままで…」がFM富山のインディーズアーティストピックアップに選ばれ、
2ヶ月の間ローテーションされたり、bjリーグの富山グラウジーズの試合のハー フタイムで
「WING」を歌い新たな客層にアピールしたりするなど、着実にファンを獲得していったのである。
そしてこの年の冬、満を持して行ったワンマンライブはチケットソールアウト!!
彼らのこの年の活動の締めくくりに相応しい結果となったのである。
2008年、2009年にもそれぞれワンマンライブを決行し、
そのどちらもソールドアウトという快挙を成し遂げ、
特に2009年のワンマンではclubMAIROで250人以上を動員し、
「にじ色」人気の凄まじさを印象づける結果となった。
2009年には5枚目となるアルバム「夢を追い翔けて」を発売。
これまでの最多販売を更新。
その後は常に様々なメディアやイベントに年間を通じてオファーを得るようになり、
富山での知名度を確実に高めている。
そして今現在では富山だけではなく、 全国に向けて発信する活動を精力的に展開している。
そして彼らは常に上を向いて前進していくであろう。
何故なら、「にじ色」はみんなの希望を歌に乗せて発信するユニットなのだから。
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